沿革 1806年 10 代藩主豊策(とよかず)公の時代に、 一豊公と同夫人・見性院(千代)、そして、 2代藩主忠義公を祀るため、高知城内に藤並神社が建てられた。 (右写真:藤並神社大鳥居。現在県立図書館と文学館のあるところ。) 明治四年(1871) 廃藩置県の年の3月、最後の藩主で最初の知藩事山内豊範公が祖霊を祀るため、藤並神社の御旅所のあった現在地に社殿を造り、三代忠豊公より十四代豊惇公の霊を祀られた。 昭和七年(1932) 十五代豊信公・十六代豊範公の幕末維新における功績を顕彰するための神社を新たに造ることとなり、 両公を除く歴代藩主の霊を藤並神社にうつして、新社殿建造工事にかかり、昭和九年四月落成。 ここに「別格官幣社山内神社」が創建された。 昭和二十年(1945) 戦火により両神社とも焼失したため、戦後それぞれ仮宮を建て祭祀を続けた。 昭和四十五年(1975) 社殿を再建して、藤並神社と合併し、藩祖一豊公同夫人以下歴代藩主を合祀した。 (写真:御神体遷座式の模様。昭和45年10月) 平成二年(1990) 七月、高知城内に在った熊野・春日・住吉の三社を境内に遷した。 平成十四年(2002) 容堂公を祀る銅像を境内に建立。 <次へ> |